カルロスの狙撃事件の話

「有名になったあとの『カルロス』はどうなったの?」

OPEC本部襲撃事件を起こしたことで、世界中にリアルタイムで大事件の首謀者としてその名を轟かせることになったカルロスことイリイチ・ラミレス・サンチェス。
しかし、この事件の主目的とされたイラクの対立勢力であるサウジアラビアのヤマーニー石油鉱物資源相やイランのアモウゼガル石油相の暗殺を行わず、解放してしまった
ことや、オーストリア当局に支払わせた身代金の一部をカルロスが個人的に着服したことから、彼はPFLP-EOを追放される身となります。

(1)PFLP-EO追放後

PFLP-EOを追放されてからのカルロスはひとまずイラクのバクダードに潜伏して、生活を送ります。この時期、RZ(革命細胞・西ドイツ極左過激派団体)の女性メンバーと最初の結婚をします。
そして、その後はハンガリー政府の庇護を受けてブダペストで1979~1984年までの5年間を過ごします。この間にも、パリのアル=ワタン・アル=アラビー紙本社(シリアの反体制派の新聞)を
狙った爆破事件に関与したり、テロリストとしての地下活動は行っていますが、もうこの頃には主義主張や思想というより、金や自己顕示のためにテロを請け負うというような
堕落したものに変質しています。
その後はシリアのダマスカスに潜伏し、シリアをパトロンとし、レバノンやパリで暗殺や暗殺未遂の依頼を請け負い実行しました。

(2)東西冷戦体制終焉と存在価値の終焉

その後の世界は、ベルリンの壁崩壊、東西冷戦体制の終結を迎えます。
これにより、カルロスはソ連や共産圏の東側の世界からの支援を失ってしまいます。
そのため潜伏先であったシリアも遂に追放の憂き目に遭います。

その後のカルロスは、南イエメン、リビア、ヨルダンと転々とし、1992年にイランの口利きでスーダンに入国します。
そこで、イスラム教徒になり、アブドゥッラー・バカーラという石油実業家を名乗り、シリア人の妻と贅沢三昧の放蕩生活を送ります。
しかし、遂に悪運尽きて、スーダン政府は執拗に身柄の引き渡しを要求していたフランスの要求に屈し、カルロスは1994年の8月、スーダンの首都ハルツームで
スーダン警察によって身柄を拘束されます。
その後、身柄は要求通りフランスへ引き渡され、カルロスはとうとうパリのサンテ刑務所に収監されてしまいます。

1997年の裁判において、終身刑の判決を受けました。