有名なあの『カルロス』の映画化

「なぜ『カルロス』は有名になったの?」

ベネズエラの首都カラカスの裕福な家庭に生まれ、熱心な共産主義者の父親の影響で、共産党員になり、ソ連に留学し革命思想やテロやスパイ活動に必要な破壊工作を学んだ『カルロス』。
ここでは、彼がパレスチナでテロリストとしてデビューした後、どのようなテロ活動をしていったのか?をざっと追っていこうと思います。

(1)テロリストとしてのステップアップ

1970年にパレスチナ解放人民戦線(PFLP)に加わりテロリストとして名乗りを上げたカルロスは、やがて1973年にはPFLP-EO(パレスチナ解放人民戦線・対外作戦派)という分派組織に
所属に変わると、ここからは数多くのテロ活動の指揮を執るようになります。
舞台を主に欧州に移して、数々のテロ活動を指揮していくわけですが、1974年にはパリの薬局を爆破、翌1975年の1月にはオルリー空港襲撃事件にも関与したため、DST(フランス国土監視局)
に目をつけられる存在になり、この年の3月にはパリにあった秘密のアジトに踏み込んできたDST捜査官二人を射殺してしまいます。
この時から、カルロスはDSTに怨敵として執拗に追われる立場になっていきます。

(2)日本赤軍との関係

この時代には、日本にも日本赤軍等の極左テロ組織があり、世界で暗躍していました。
カルロスはこの日本赤軍とも繋がりがあったようです。
1972年にイスラエルで日本赤軍は『テルアビブ空港乱射事件』を起こします。一般市民多数に対して乱射して死傷させるという無差別テロ事件です。
このテロでカルロスはPFLPの一員として武器の調達を行ったとされています。
この後も日本赤軍は、1974年の9月にオランダのハーグにあるフランス大使館を占拠し、オランダ人警察官を銃撃するというハーグ事件を起こしますが、
この事件でも、カルロスは日本赤軍の後方支援部隊として参加しています。

(3)OPEC本部襲撃事件

そしてテロリスト『カルロス』の名を一躍有名にしたのは、1975年12月に起こしたOPEC本部襲撃事件です。
これはオーストリアのウィーンにあったOPEC(石油輸出国機構)本部をカルロスの指揮する6人のテロリストが襲撃し、警護の警官らと銃撃戦を演じたのち、
参加国の多数の人質を取って、要求を突きつけて脅迫した事件です。
イラクなどの支援を受けていたとされるこの事件はショッキングなテロとして世界に報じられ、カルロス・ザ・ジャッカルの名を一躍有名にしたと言われています。